「尽くしたい」「強引にリードされたい」のは、M?
「男性に尽くしたい。」
「強引にリードされたい。」
そういう感情を抱いたことはあるだろうか。
こういう思考から、「だから私はMかもしれない」と考える女性は多い。
でも、いざハードなプレイを想像すると
「痛いのは別に好きではない。」
「鞭で叩かれたいわけではない。」
そう感じて、違和感を持ってしまう。
ハードなマゾではない。
けれど、完全に普通とも言い切れない。
この白黒つけられない状態に、悩む人は多い。
世間が言うMのイメージと、あなたが求めるものの「ズレ」
世間が言う「M」の正体について話そう。
本来、Mとは「痛み」や「恥」で快感を得る性癖のことだ。
「叩かれること」が一番最初の印象だろうが、実は直接的な痛みがなくてもいい。
「言葉で責められる」こと。
「優しくいじめられる」こと。
そんな「刺激」そのものを楽しむのが、Mの快楽である。
一方で、違うものを求める女性がいる。
いじめられることではない。
「圧倒的な力で支配されること」だ。
「すべてを委ねる安心感」である。
世間では、この2つが同じ「M」として扱われている。
だが、違う。
「刺激を求めること」と「支配されたいこと」。
これは、まったく別の性癖なのだ。
痛みではなく「服従」を求める。「サブミッシブ」という生き方
痛みや刺激ではなく、「精神的な服従」を求める性癖がある。
それが「サブミッシブ」だ。
支配する側を「ドミナント」と呼ぶ。
支配される側を「サブミッシブ」と呼ぶ。
これらの性癖を合わせて「ドミサブ」や「D/s」と呼んだりもする。
普段、ルールに従い、周りの期待に応えようと頑張っている人。
そして自分を押し殺して生きている女性にとって、絶対的な主従関係は救いになる。
相手に完全に支配されること。
それは「自分で決めなくていい」ということだ。
「責任を手放しても良い」。
そういう状態に、強烈な開放感と安心感が生まれるのである。
「Mっぽいけど、痛いのは好きじゃない。」
あなたがそう感じていたなら、実はあなたが求めていたのはMの快楽では無かったのかもしれない。
求めていたのはサブミッシブとしての、心の解放だったのだ。
Mとサブミッシブの比較
Mとサブミッシブの違いを、例を出して説明したい。
Mの喜び
言葉で責められること。
雰囲気を作って、優しくいじめられること。
心や体への「刺激」に惹かれる状態。
サブミッシブの喜び
相手の「持ち物」や「奴隷」として扱われること。
ただ相手の指示に従うこと。
日常の責任をすべて手放す「状況」そのものに快感を覚える状態だ。
ご主人様から与えられるご褒美も理不尽も全て受け入れ、常識やプライドを捨てて支配された状態。
簡単に言ってしまえば、刺激そのものを求めるのが、マゾヒズム。
そして心の重圧からの解放と服従を求めるのが、サブミッシブなのだ。
あなたはどちらに興奮するか
あなたは、どちらの雰囲気に惹かれただろうか。
注意してほしいことがある。
「どちらか一つ」に決める必要はないという事だ。
両方に惹かれても構わない。
「サブミッシブに強く惹かれるが、Mにも少し興味がある。」
そんな曖昧な状態でも大丈夫だ。
人間の心は、機械のように綺麗に分けられるものではない。
まとめ
「サブミッシブ」な一面は、誰にでもあるものだ。
休む時には、誰だって責任を手放したいだろう。
その気持ちが強いか、弱いか。
性欲とどれだけ結びついているか、それだけの違いに過ぎない。
心の奥底にある「調教されたい」「完全に服従したい」という感情。
それは、決して病気でも異常でもない。
それは、あなたが日常で無理をして頑張っているからこそ生まれる、少しだけ「特別な個性」として考えればいい。